ほっこりラボ 雑記帳

私のネガティブ歴

ほっこりラボ

自称・ネガティブ人、しかも重度のネガティブ人と公言していた私のネガティブ人生暦を振り返ってみようかと思い、ネガティブ歴を簡略ですが書いてみようと思います。

思いつく限りネガティブだったは本当?

自分のことをそう断言するほどネガティブ街道を進んできたと思ってます。

でも、考えてみると、生まれたときや赤ちゃんの時からネガティブということはないですよね?

周囲の環境、つまり、

両親や家族、友達、学校の先生などなどから受けた

  • 「取り決め」
  • 「知識」
  • 「慣習」
  • 「教え込み」
  • 自分自身への「扱い・接し方」

などから、徐々にネガティブ思考が形成されてきたのだと思います。

 

自由だった3,4歳の頃の思い出

そう、確かに自由でした。

そこにネガティブ感情はなかったなと思い出した記憶は、

3,4歳の頃だと思います。

買ってもらった三輪車が楽しくて、
ダメと言われていた線路の向こうまで一人で冒険したことがあるんです。

 

 

歩いてなら疲れてしまうだろう線路の向こうの大通りも、三輪車なら大丈夫!そう思って出かけたのか、はたまた渡ってはいけないと言われていた踏切の向こうに行くことが重要だったのかは、記憶にありませんが、

線路の向こうの大通りを一人、キコキコと三輪車を漕いでいる所を祖母に見つかり、大声で声をかけられたものの、追いかけてくるのが楽しくて、子供なりに巣ピートアップして三輪車を漕いだそのときの楽しさ、ワクワクして面白がっていた感情を思い出しました。

そう、そこのネガティブさは、みじんもありません。

だから、たぶん3,4歳の頃は、まだ私は普通だったんだと思います。

ネガティブとかポジティブとかそういうのでは決してなく、ただそこの在った。

無邪気に楽しいと思うことに挑戦し、日々楽しんでいた。

ネガティブが形成されたのはいつだろう?

はっきりとした自覚はないですね。

ただ、記憶がある限り自分というものを自己判断するようになった時から自分はネガティブでやる気なし人間という認識を持った感じがします。

ただ、「自覚=ネガティブになった時」というわけではないと思うので、徐々に形成されていたのだとは思ってます。

 

ネガティブ形成の根源?

本当にそうなのかは分かりません。

でも、私は保育園に行く前から父から言われていた言葉があります。

「お前は、池のそばで泣いていた捨て子だ」
「あんまり泣いていたから拾ってきてやった。」

それは、私が何か悪い事をしたわけでもないのに、何かの拍子に耳に入った言葉でした。

いえ、私の記憶にないだけで、何か父の気に障ったこととか、悪い事をしたのかもしれません。

とにかく、その言葉は小学校低学年あたりになるまで、時折、私的には浴びせられていた言葉のシャワーです。

心理を学んだ今、それは完全なる刷り込み教育になってしまったんだと思ってます。

「でも、そんなことはどこの家にもありがちじゃない?」

そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。

でも、私の心に深くその言葉が残ってしまったのは、本当に養子だったからかもしれません。

もらわれてきたのは1歳半のときですが、赤子は赤子なりに、感覚的に体感的にそれを知っていて、無意識の中に宿っていたのかもしれません。

想像でしかありませんが。

私は貰われっ子かもしれない?

その思いは、着実に育った感はとても強いです。

「良い子ににしてないと家を追い出されるかもしれない。」

その観念は、小学校高学年の頃から身につまされていつも思っていたことです。

そう、無邪気に笑えない子供になっていたことは確かです。

ですので、そうですね、ネガティブ人生は、たぶん自分を意識しはじめた小学校4年生ごろからになるでしょうか。

と、計算するとネガティブ歴は結構50年以上はあるということになりますね。

そうして、空想壁のある引っ込み思案な私になっていったわけです。

私はわたし、これでいい!

振り返ってみて(2020年追記)、

今となってはそういう時もあったという思い出ですね。

そんな自分をなんとかしようという気持ちになったのは、それまで無意識だったネガティブに気づいたときからでしょうか。

心理学、自己啓発系の学習ジプシーとなっていました。
それはそれで今の自分にたどり着く行程だったのだと今は思ってます。

とにかくそんなわけで、思い出せるかぎり?ネガティブ人だったような気がしてます。

あ、今はネガティブに陥ってもすぐフラットな心に復活できるごくごく普通な人間だと思ってます。

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